人形と赤飯の、祖母の家。
私は八王子で生まれ育ちました。両親は共働きで、休みのたびに祖母の家に預けられていました。男の子にしては大人しく、外で遊ぶより祖母のそばにいるのが好きでした。
昔ながらの日本家屋には、古いひな人形や、旅先で買った木彫りの人形がたくさん飾られていました。子供の目には少し不気味でしたが、祖母は笑って言うのです。
「この子たちが家を守ってくれてるんよ」
祖母の家に行くと、決まって赤飯を炊いてくれました。特別な日でなくても、私が来るというだけで。もち米を蒸す甘い匂いが家中に広がって、その湯気の匂いを嗅ぐと、いまでも畳の感触を思い出します。
小学二年の、ある日の午後。
祖母が買い物に出かけ、私は一人で留守番をしていました。昼寝から、物音で目が覚めました。玄関の戸が、静かに開く音。祖母ではない、誰かの気配です。
怖くて声も出せず、布団の中で寝たふりをするしかありませんでした。「誰か、早く来て」。声にできないまま、頭の中で必死に願ったそのときです。
ガタン、ガタン。棚の人形がいくつか、何かに押されたように次々と倒れました。廊下から驚いた足音と小さな声が聞こえ、すぐに逃げるように玄関の戸が閉まり、家は静かになりました。
帰ってきた祖母に震えながら話すと、祖母は棚を見つめ、私をぎゅっと抱きしめてくれました。
「あんたが強う願うたから、この子たちが応えてくれたんかもしれんね」
それが、自分の中の「何か」に初めて気づいた瞬間でした。

感覚が、鋭くなっていく。
それから、不思議なことが少しずつ増えました。友達と話していると、言葉にしていない本当の気持ちが伝わってくる。明るく振る舞う子の奥にある寂しさ、平気なふりをする子の我慢。何度も的中するうちに、気のせいではないと気づきました。
中学、高校と進むにつれて感覚は鋭くなり、人混みを歩くだけで、たくさんの感情が流れ込んできます。学校から帰ると、話す元気もなく布団に倒れ込む日が増えました。祖母はそんな私に何も聞かず、ただ赤飯を炊いて待っていてくれました。
都心で疲れ、八王子に戻って。
二十歳を過ぎて都心に出たとき、この力のことは誰にも話さず、普通の会社員として生きていこうと決めていました。けれど満員電車もオフィスの雑踏も、見知らぬ人の感情が絶え間なく押し寄せてきます。半年も経たないうちに、朝、布団から出られなくなりました。
会社を休んで天井を見ていた日、ふと祖母の赤飯の匂いを思い出しました。祖母はすでに他界していましたが、私は八王子に戻ることにしました。

久しぶりの祖母の家は、記憶のままの静けさでした。人形たちも、そのまま棚に並んでいました。その前で「おばあちゃん、疲れちゃったよ」とつぶやいたとき、ふっと肩の力が抜けました。
この感覚は、隠すものじゃない。誰かのために、使うべきものなんだ。そう思えた瞬間でした。
はじめての確かな手応え。
最初の鑑定は、近所に住む30代の男性でした。長年勤めた会社を辞めるかどうか、ずっと迷っていました。新しいことに挑戦したい思いと、周りを失望させたくない気持ちの間で板挟みになっていたのです。
「あなたはもう、答えを知っていますよね」と伝えると、彼は静かに頷き、こう言いました。
「ずっと、誰かにそう言ってほしかったのかもしれません」
数か月後、彼は転職して、新しい仕事を楽しそうに始めていました。誰かの背中をそっと押せた。それが、私にとって初めての確かな手応えです。